一澤帆布のお家騒動
商標権侵害で兄が弟提訴 お家騒動の京都・一澤帆布
----------------------
この事件は、2通の遺言書を巡る真贋判断なのであるが
最高裁は判断をせず、両方を有効とし
法律上、新しく書かれたものが効力を発する・・・・と言うことで
前社長の弟が敗訴したものだ
ところが、先代が病気で倒れたときも
弟の方が会社を切り盛りしており
すべての職人が弟を支持して退社したため
兄が継承した「一澤帆布工業」は事実上休業状態だった
それで、他から職人を集め 別ルートから生地を仕入れ
再び鞄を作り始めたのであるが
世の中の見る目がある人は、裁判結果などに惑わされることなく
弟と旧来の職人が作る「一澤信三郎帆布」を支持していたのである
(仕入れ先の朝日加工や、納入先の同志社小学校など)
そう言う経緯で、作っても売れない兄側がまたまた裁判に訴え出たというわけだ
私の意見も、裁判所とは異なり
一澤信三郎帆布が正当な一澤帆布だと思う
-------------------------
~ 一澤帆布 一澤信三郎からのメッセージ ~
日ごろは、一澤帆布の製品をご愛用いただきまして、誠にありがとうございます。
さて、昨年12月に私が一澤帆布工業の代表取締役を解任されたと新聞や雑誌で報じられ、一澤帆布のかばんを愛用してくださっているみなさまから店の現状について大変ご心配いただいております。
これまで、父親の遺産をめぐる兄弟間の争いなど、世間に知れ渡ることはみっともないとの思いから、私から積極的に事情を説明することは避けてきました。しかし、事ここに至っては、兄弟争いの域を超え、会社の存続に関わる問題になってしまいました。ご愛用者の皆様に事情をご説明する責任があるとの思いから、これまでの経過をみなさまにきちんとお伝えすることにいたします。
私は1980年から約25年間にわたって一澤帆布の仕事に携わり、職人と共に、丈夫で長持ち、使い勝手の良いかばんを作り続けてきました。天然素材にこだわり、材料はほとんど別注で良質なものを厳選し、丁寧に縫製をし、修理などのアフターケアーもしてきました。そして、よそに卸して売るということは考えず、製造直売、京都の一店舗で、お客様の顔をみて販売することにこだわってきました。お陰さまで大量生産、大量消費の時代からは何周も遅れたこの商売が近年、脚光を浴び、京都商法として、雑誌などに取り上げられるようになりました。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」と言う言葉がありますが、その言葉のように、良い材料を使い、手間隙かけてよいものを作り、お客様に買っていただく。それを作っている職人は仕事に誇りを持ち、仕事に見合った賃金をもらう。その結果お客様に、良いものを買ったと喜んでいただく。そんな商売ができてきたことを、有難いことだと感じてきました。
ところが、兄・信太郎が便箋3枚に書かれた父親の遺言書と称するものを持ち出してから、25年間丹精こめて、職人、販売スタッフと共に作り上げたこの会社が兄の手に渡ろうとしています。しかも兄は、大学卒業後、愛知県岡崎市に住んで、東海銀行に定年まで勤め、一澤帆布の仕事に一切関わったことがなく、帆布の「は」の字も知りません。
以下に、これまでの経過と、かばんを愛用してくださっている方々が、裁判所に提出してくださった陳述書および当社の社員の陳述書を添付いたします。ご一読いただければ幸いです。
これまでご支援をいただいたみなさまに、多くのご心配とご迷惑をおかけし、本当に申しわけございません。心よりお詫び申し上げます。
幸い、社員78人は一人も欠けることなく、私と共に行動すると表明してくれています。また、今後どのような形になりましても、私と社員は一丸となって、今までと変わらない、いや、今まで以上に皆様に喜んでいただける製品をつくり、お客様にお届けしていく決意です。
どうぞ変わらぬご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
これまでの経緯
1980年4月 一澤帆布工業(株)に入社
私は1971年に同志社大学を卒業後、約9年間会社員としての人生を歩んでいました。ところが会社を手伝っていた弟・喜久夫は体調不良で会社に週に2日ほど、それも昼からしか出勤してこないような状態になり、父・信夫も65歳を過ぎ、十数人の社員も高齢化して、このままでは廃業することになってしまう、と一澤帆布工業(株)に戻ることを決心しました。当時、会社は実質的な赤字経営で給料の支払いにも困るような状態でした。東海銀行に勤めていた兄・信太郎は家業には見向きもしませんでした。父は「ええ会社におったのに、すまんな」と、何度も言って喜んでくれました。
その頃の一澤帆布工業(株)は会社とは名ばかりで、私も背広をジーパンにはき替えてシートの修理やテントの取り付けにも出向きました。子供たちは保育所に預けて、妻と共に注文書を印刷し、職人たちを日給制から月給制にして、会社の形態を整えることから始めました。
この日から、父・信夫の昼食の世話も妻の仕事になり、晩年信夫が入院するまで、父・信夫と、私達夫婦の三人で和気あいあいと妻の弁当を食べる毎日でした。
1983年9月 代表取締役社長に就任
私が社長に就いた直接のきっかけは、父が巻き込まれた地上げ騒動への対応を任されたためです。苦労しましたが土地の買い取りに成功し、父は「わしやったら、できんかったことや。おおきに」と、喜んでくれました。社員の前で、「これから信三郎が社長や。」と報告し、得意先にも共に挨拶に回りました。
1996年12月 弟・喜久夫退社
弟・喜久夫は「もう仕事はしたくない、好きなことをして暮らしたい。」とみんなの前で宣言し、退社しました。
2001年3月15日 父・信夫の死去
父は晩年に脳梗塞を患い、私は妻や一澤帆布の社員とともに食事や自宅、病院への送り迎えといった世話をしました。父はいつも「すまんな、おおきに」とお礼を言ってくれました。何ごとにも感謝し、社員からも慕われる愛すべき人柄でした。
父は元気な頃はもちろん、晩年も兄・信太郎の住む愛知県岡崎市には行こうともしませんでした。兄は銀行員でしたが絵画や骨董、株取引が趣味で、金を貸してくれと何度も父や私に頼んできました。父は「銀行員なのに、どうしてそんなに金がないんや」と心配していたものです。
二つの遺言書
父は、巻紙に毛筆で書き、実印を押した遺言書を会社の顧問弁護士に預けていました。しかし、兄・信太郎が突然「僕も遺言書を預かっている」と市販の便箋にボールペンで書いた遺言書を出してきました。父の死後4ヶ月も経った7月のことでした。顧問弁護士に預けていた遺言書は、私と妻、弟に会社の株を譲り、銀行預金の殆どを兄・信太郎に残すという内容でした。ところが、兄が預かったと言う遺言書には、長年共に仕事をしてきた私の悪口が書き連ねられたうえ、兄を中心に兄弟仲良くと、書かれており、筆記具も内容も、父が書いたとは到底思えないものでした。そこに押された印鑑も、父が常に使っていた「一澤」ではなく、見たことも無い「一沢」の印鑑で、それはいまだにどこからも発見されていません。
私は、裁判所に、その遺言書の無効を訴えました。もし兄の預かっていた遺言書が有効になれば、一澤帆布の株式の半分近くが兄・信太郎のものになり、兄に協力している弟と合わせると完全に支配権を持たれてしまうのです。
状況をきちんと読んでもらえば、裁判官にもわかってもらえるはずと信じていました。しかし、判決は、無効と言える十分な証拠が無いというものでした。
2005年12月16日 一澤帆布工業、代表取締役の解任
兄側は株主総会の開催を強行し、私を含め役員全員を解任しました。
直後に兄は「弁護士と共に話し合いたい」としながら、裏では自らが一澤帆布工業の代表取締役となる登記をし、銀行印も一方的に改印してしまいました。
新たに選任された3人の役員は、今まで一切、一澤帆布の仕事に関わったことのない、兄・信太郎と、9年前に「仕事はしたくない」と言って辞めた弟・喜久夫、そして、兄・信太郎の娘です。
一澤帆布の今後について
職人は、全員私とともに仕事を続けると表明してくれています。
昨年春に、経営効率化のために製造部門を別会社にしていました。製造関連の社員は、全員既に転籍しており、新しい会社は、従来通り帆布などの仕入れ先とも良好な関係を続けています。
今後も、これまで同様の製品作りが可能です。修理も含め、変わらぬサービスを続けて参ります。
今回の報道に触れ、私を応援してくださるお客様や友人達から、たくさんの激励をいただきました。心より感謝するとともに、今後も変わらぬご支援をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
2006年1月 一澤帆布 一澤信三郎
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この事件は、2通の遺言書を巡る真贋判断なのであるが
最高裁は判断をせず、両方を有効とし
法律上、新しく書かれたものが効力を発する・・・・と言うことで
前社長の弟が敗訴したものだ
ところが、先代が病気で倒れたときも
弟の方が会社を切り盛りしており
すべての職人が弟を支持して退社したため
兄が継承した「一澤帆布工業」は事実上休業状態だった
それで、他から職人を集め 別ルートから生地を仕入れ
再び鞄を作り始めたのであるが
世の中の見る目がある人は、裁判結果などに惑わされることなく
弟と旧来の職人が作る「一澤信三郎帆布」を支持していたのである
(仕入れ先の朝日加工や、納入先の同志社小学校など)
そう言う経緯で、作っても売れない兄側がまたまた裁判に訴え出たというわけだ
私の意見も、裁判所とは異なり
一澤信三郎帆布が正当な一澤帆布だと思う
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~ 一澤帆布 一澤信三郎からのメッセージ ~
日ごろは、一澤帆布の製品をご愛用いただきまして、誠にありがとうございます。
さて、昨年12月に私が一澤帆布工業の代表取締役を解任されたと新聞や雑誌で報じられ、一澤帆布のかばんを愛用してくださっているみなさまから店の現状について大変ご心配いただいております。
これまで、父親の遺産をめぐる兄弟間の争いなど、世間に知れ渡ることはみっともないとの思いから、私から積極的に事情を説明することは避けてきました。しかし、事ここに至っては、兄弟争いの域を超え、会社の存続に関わる問題になってしまいました。ご愛用者の皆様に事情をご説明する責任があるとの思いから、これまでの経過をみなさまにきちんとお伝えすることにいたします。
私は1980年から約25年間にわたって一澤帆布の仕事に携わり、職人と共に、丈夫で長持ち、使い勝手の良いかばんを作り続けてきました。天然素材にこだわり、材料はほとんど別注で良質なものを厳選し、丁寧に縫製をし、修理などのアフターケアーもしてきました。そして、よそに卸して売るということは考えず、製造直売、京都の一店舗で、お客様の顔をみて販売することにこだわってきました。お陰さまで大量生産、大量消費の時代からは何周も遅れたこの商売が近年、脚光を浴び、京都商法として、雑誌などに取り上げられるようになりました。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」と言う言葉がありますが、その言葉のように、良い材料を使い、手間隙かけてよいものを作り、お客様に買っていただく。それを作っている職人は仕事に誇りを持ち、仕事に見合った賃金をもらう。その結果お客様に、良いものを買ったと喜んでいただく。そんな商売ができてきたことを、有難いことだと感じてきました。
ところが、兄・信太郎が便箋3枚に書かれた父親の遺言書と称するものを持ち出してから、25年間丹精こめて、職人、販売スタッフと共に作り上げたこの会社が兄の手に渡ろうとしています。しかも兄は、大学卒業後、愛知県岡崎市に住んで、東海銀行に定年まで勤め、一澤帆布の仕事に一切関わったことがなく、帆布の「は」の字も知りません。
以下に、これまでの経過と、かばんを愛用してくださっている方々が、裁判所に提出してくださった陳述書および当社の社員の陳述書を添付いたします。ご一読いただければ幸いです。
これまでご支援をいただいたみなさまに、多くのご心配とご迷惑をおかけし、本当に申しわけございません。心よりお詫び申し上げます。
幸い、社員78人は一人も欠けることなく、私と共に行動すると表明してくれています。また、今後どのような形になりましても、私と社員は一丸となって、今までと変わらない、いや、今まで以上に皆様に喜んでいただける製品をつくり、お客様にお届けしていく決意です。
どうぞ変わらぬご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
これまでの経緯
1980年4月 一澤帆布工業(株)に入社
私は1971年に同志社大学を卒業後、約9年間会社員としての人生を歩んでいました。ところが会社を手伝っていた弟・喜久夫は体調不良で会社に週に2日ほど、それも昼からしか出勤してこないような状態になり、父・信夫も65歳を過ぎ、十数人の社員も高齢化して、このままでは廃業することになってしまう、と一澤帆布工業(株)に戻ることを決心しました。当時、会社は実質的な赤字経営で給料の支払いにも困るような状態でした。東海銀行に勤めていた兄・信太郎は家業には見向きもしませんでした。父は「ええ会社におったのに、すまんな」と、何度も言って喜んでくれました。
その頃の一澤帆布工業(株)は会社とは名ばかりで、私も背広をジーパンにはき替えてシートの修理やテントの取り付けにも出向きました。子供たちは保育所に預けて、妻と共に注文書を印刷し、職人たちを日給制から月給制にして、会社の形態を整えることから始めました。
この日から、父・信夫の昼食の世話も妻の仕事になり、晩年信夫が入院するまで、父・信夫と、私達夫婦の三人で和気あいあいと妻の弁当を食べる毎日でした。
1983年9月 代表取締役社長に就任
私が社長に就いた直接のきっかけは、父が巻き込まれた地上げ騒動への対応を任されたためです。苦労しましたが土地の買い取りに成功し、父は「わしやったら、できんかったことや。おおきに」と、喜んでくれました。社員の前で、「これから信三郎が社長や。」と報告し、得意先にも共に挨拶に回りました。
1996年12月 弟・喜久夫退社
弟・喜久夫は「もう仕事はしたくない、好きなことをして暮らしたい。」とみんなの前で宣言し、退社しました。
2001年3月15日 父・信夫の死去
父は晩年に脳梗塞を患い、私は妻や一澤帆布の社員とともに食事や自宅、病院への送り迎えといった世話をしました。父はいつも「すまんな、おおきに」とお礼を言ってくれました。何ごとにも感謝し、社員からも慕われる愛すべき人柄でした。
父は元気な頃はもちろん、晩年も兄・信太郎の住む愛知県岡崎市には行こうともしませんでした。兄は銀行員でしたが絵画や骨董、株取引が趣味で、金を貸してくれと何度も父や私に頼んできました。父は「銀行員なのに、どうしてそんなに金がないんや」と心配していたものです。
二つの遺言書
父は、巻紙に毛筆で書き、実印を押した遺言書を会社の顧問弁護士に預けていました。しかし、兄・信太郎が突然「僕も遺言書を預かっている」と市販の便箋にボールペンで書いた遺言書を出してきました。父の死後4ヶ月も経った7月のことでした。顧問弁護士に預けていた遺言書は、私と妻、弟に会社の株を譲り、銀行預金の殆どを兄・信太郎に残すという内容でした。ところが、兄が預かったと言う遺言書には、長年共に仕事をしてきた私の悪口が書き連ねられたうえ、兄を中心に兄弟仲良くと、書かれており、筆記具も内容も、父が書いたとは到底思えないものでした。そこに押された印鑑も、父が常に使っていた「一澤」ではなく、見たことも無い「一沢」の印鑑で、それはいまだにどこからも発見されていません。
私は、裁判所に、その遺言書の無効を訴えました。もし兄の預かっていた遺言書が有効になれば、一澤帆布の株式の半分近くが兄・信太郎のものになり、兄に協力している弟と合わせると完全に支配権を持たれてしまうのです。
状況をきちんと読んでもらえば、裁判官にもわかってもらえるはずと信じていました。しかし、判決は、無効と言える十分な証拠が無いというものでした。
2005年12月16日 一澤帆布工業、代表取締役の解任
兄側は株主総会の開催を強行し、私を含め役員全員を解任しました。
直後に兄は「弁護士と共に話し合いたい」としながら、裏では自らが一澤帆布工業の代表取締役となる登記をし、銀行印も一方的に改印してしまいました。
新たに選任された3人の役員は、今まで一切、一澤帆布の仕事に関わったことのない、兄・信太郎と、9年前に「仕事はしたくない」と言って辞めた弟・喜久夫、そして、兄・信太郎の娘です。
一澤帆布の今後について
職人は、全員私とともに仕事を続けると表明してくれています。
昨年春に、経営効率化のために製造部門を別会社にしていました。製造関連の社員は、全員既に転籍しており、新しい会社は、従来通り帆布などの仕入れ先とも良好な関係を続けています。
今後も、これまで同様の製品作りが可能です。修理も含め、変わらぬサービスを続けて参ります。
今回の報道に触れ、私を応援してくださるお客様や友人達から、たくさんの激励をいただきました。心より感謝するとともに、今後も変わらぬご支援をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
2006年1月 一澤帆布 一澤信三郎
by kaonoi
| 2007-02-14 21:41
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by kaonoi
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